……さやかちゃん、さやかちゃん……
誰かが私を呼ぶ声を聴いた気が――した。意識が眠りの海底からゆっくりと浮上し、美樹さやかの思考に火が灯る。
その声はとても大切な、大切な友達の物だった、様に思う。
「……んぅ……ま、どか……」
無意識に言葉を口ずさみつつ、さやかははっと目を開いた。しかし直後、頭蓋に割れるような痛みを感じ、額を右手で強く抑える。
「……んっ……!?……あれ……ここ、どこだろ」
気が付けば、さやかは窓から差し込む月光の中に倒れていた。身を起こしつつ周囲を伺えば、時刻が夜で、そこがどこかの建物の中だと知れる。部屋は広いががらんとしており、照明も灯っておらず、月光だけが闇を退けている。
さやかは小首を傾げ、呆然と呟いた。
「あたし、確か駅で……あれ、何やってたんだっけ……?駅で、駅で……えーっと……思い出せない……」
記憶までもが闇に閉ざされる不安。さやかはゆっくりと吐き、気持ちを静めようとした。
「……落ち着けあたし、名前は……美樹さやか、見滝原の中学2年、よしっ。……魔法少女で、魔法少女で……ぐっ!」
刹那。
再びさやかは目覚めの時と同じ頭痛を感じ、片目を閉じて身悶えした。強く弾かれた様な感覚の後、心には空虚と淡い焦燥だけが残る。
「魔法少女で、どうしたんだっけ……?」
どうしても、それ以上の事が思い出せなかった。
自分の事も、友達の事も、大切な人の事も。
起き上がって足を延ばし、真っ直ぐに前を見る。そこにさやかは異質なものを見て、眉を厳しくした。白いボールに伯爵の髭がついた、悪趣味な案山子のようなイキモノがこちらに向かってきていたからだ。
人ならざる、おぞましい存在。何も思い出せないが、何をすべきかは――おのずと分かった。
「……使い魔……やっつけなきゃ……!」
さやかは左腕を振りかぶると同時、意識を左手に集中させる。直後、淡い輝きと共に愛用のサーベルが手の中に出現した。
未来を切り開く、魔法少女、美樹さやかの武器。それは他でもない、自身の未来を切り開く為の物。
そして。何処とも分からぬ場所で、記憶を失った美樹さやかは、眼前の敵に向かって走りだした。
全ては円環の導きのままに。
名も知らぬ迷宮の奥底で今、運命の夜が、今、幕を開ける――。